<アライグマ>「ぎゃあああああああ!!」
空調の音だけが静かに響いていた午後。とある国にある別荘の廊下を歩いていたソロモンに聞こえたのは、遠い国で他の兄弟に守られ、眠りに入っているディーヴァが目を覚ますんじゃないかと思えるほど、悲惨なカールの声だった。
『カール?』
急いで声のした方に走りながら、頭の中に話しかけてみるが、混乱しているのか全く返事がない。
「カール!!」
キッチンに馴染みのあるアオザイ姿を見つけて、叫ぶ。
振り向いたカールは顔から血を流していて、丁度顔に斜めに入った赤い3本線が治癒していくところだった。
「どうしたんですか!?」
「あいつだ……!!」
血を拭くこともせず、憎々しげにカールが指差した先に、『それ』はいた。
ふさふさした毛を持つ茶色の物体。アライグマだった。野菜をせっせと食べている。
ソロモンはしばらく唖然とその光景を見た。
「兄さん!?」
「は?」
アライグマに慌てて駆け寄るソロモンに、カールはすっとんきょうな声をあげた。
「お前何を…」
「知らないんですかカール!?兄さんは40年に一度アライグマになって力を蓄えるんです!」
あまりにあまりな話にカールは固まったが、ソロモンが嘘をつく理由もなく、不可思議なシュヴァリエの世界だから、まぁそんなこともあるのかもしれない、と思ってしまう。
「ほら、カールが大きな声をだすから兄さんが怖がってるじゃないですか」
ソロモンが抱き上げたアライグマを見ると、たしかに震えていた。
「しかし、本当にそれはアンシェルなのか?」
「『それ』なんて言わないでください。兄さんですよ。本当に」
震えているアンシェルがなんとなく想像がつかなくてそう訊いたのだが、ソロモンは不機嫌そうにそう答えた。
「この姿になっている時は色々と敏感になってるから、大変なんです。察してあげてください、カール」
そう言いながら、ソロモンがアライグマの背を撫でる。
「兄さん、もう大丈夫ですよー」
それでもアライグマは震えている。
「お前もこうなるのか?」
「はい?」
「お前も、40年ごとにアライグマになるのか?」
恐る恐るカールは訊いた。ひょっとして、自分もある周期ごとにアライグマにならなければいけないのだろうか。
「あ、いえ。兄さんだけらしいです。何故か」
「…そうか」
D67の研究よりむしろそっちの研究がしたい、と思いながら、カールはソロモンの腕の中の物体を見た。
「そろそろだとは思っていたんですが…、兄さん、何も言ってなかったから驚きましたよ…」
ソロモンはしゃがんで、ゆっくりとアライグマをその場に下ろす。
「いいのか放して」
「大丈夫。兄さんももう落ち着いたはずですから」
ソロモンが微笑みながら、いうと、確かにアライグマは大人しくその場で丸まった。
「どれぐらいこの状態なんだ?」
「たしか1年か2年ぐらいだったかと」
ジェイムズに「これがアンシェルだ」とアライグマを指しながら言う自分を想像して、カールはほんの少し眩暈がした。
アライグマは先程食べ残した野菜の方に歩いていって、残りを食べ始めた。
「…食生活も変わるんだな」
「アライグマですから」
二人でしばらくそんな話をしていると、
アライグマはじーーっとソロモンの方を見た。
「なんですか、兄さん?」
ばっ、とアライグマが跳んだ。ソロモンは驚きながらも、腕を伸ばしてアライグマを抱きとめる。アライグマはぺろぺろとソロモンの頬を舐めた。
「随分と好かれているようだな」
「僕と兄さんの仲ですから」
カールが何故か大きく舌打ちしたことに、ソロモンはアライグマを見るのに夢中で気づかなかった。
「私は部屋に戻る」
カールは不愉快そうにそう吐き捨てて、身を翻してキッチンを出ようとした。
「に、兄さん!?」
ソロモンの悲鳴じみた声に、カールはなにごとかと振り返る。
「!?」
アライグマが、ソロモンの鎖骨のあたり顔を埋めていた。当然のように赤い舌がいやらしくそこを這っている。その前足はせっせとソロモンの服を脱がしていた。
「貴っ様―――――――――!!」
カールはアライグマに突進すると、無理やりソロモンから引き剥がした。
「ちょ!?カール、乱暴しないでください!」
「こいつに言え!!」
カールは暴れるアライグマを押さえつける。
「アライグマにやられる兄なんぞ見たくもない!」
数分後。アライグマはケージに閉じ込められていた。「出せ!」と言わんばかりに大暴れしている。
「…兄さん…」
ケージのすぐそばで、今にも泣き出しそうな顔をしているソロモンに、
「仕方ないだろう。我々の身の安全のためだ」
カールは諭す様に言った。
「ところで、ジェイムズにどう説明する?奴は絶対に信じないと思うが」
「なんとか納得してもらうしかないでしょうね…」
二人が神妙な面持ちで話していると、
「…私がどうした?」
ジェイムズが後ろから話しかけた。
「ジェイムズ!」
「いついらしたんですか!?」
「たった今」
そう言いながらジェイムズは、
「何だ…?アライグマか」
特に関心もなさそうにケージを見つめた。
「実はですね…ジェイムズ。このアライグマについて、非っ常に重要な報告があるんです」
ソロモンが言うと、
「ほう…聞かせてもらおうか」
ジェイムズの後ろから聞き覚えのある声が聞こえ、ソロモンはその場で凍りついた。
ジェイムズのすぐ後ろにいたのは、アンシェル・ゴールドスミスその人だった。
「兄さん…?」
ソロモンの声は震えていた。
「私が来てはいけない事情でもあるのか?」
「いえ、そういうわけでは」
ソロモンはしばらく俯いてから、
「ねぇ、カール」
やけに明るい声で、カールの方を向いた。
そして、
「殺ってください。この一般アライグマを」
口元を不自然にゆがませながら言った。
カールとアライグマの両方が、ひく、と肩を震わせた。
同ネタがあったらごめんなさい。兄さんと一般アライグマをどう見分けるんだろーという話をしていたらこんなことに…。
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