一度熱を欲することを覚えた身体は、もう元には戻れない。
<壊れる音が聞こえた>
白いタイルの隙間に汚れが目立つ、あまり広くないシャワールーム。
流水量を最大にされたシャワーの湯と湯気の中、黒髪が流水にされるがままにカールの顔を覆っていた。
ざーっ、というその音と、聞こえるのは荒い息のもの。
カールは片手を壁について、もう片方の手は下方へと伸ばしていた。
頭の中にあるのはただ、自分をはい回る手、焼けるように熱くなる感覚、壊れそうになる
ぐらいに愛しい相手。
絶望を引き連れてやってくれる、刹那の、至上の幸福感。
コレは、その一瞬へと昇りつめるための、寂しいヒトリアソビ。
何度も覚えこまされた、かき回され突き上げられる感覚。
強烈すぎる程に鮮やかにそれを頭に思い描けば、荒れ狂う流れが一つの場所を目指して身体中
から集う。
「ソロ・・モ・・」
かすかにそう呟いて、答える者のない寂しさに、ただ手の動きを早めることしかできない。
目から溢れた液体は、上から降り注ぐ雨にすぐに押し流されていく。
「・・・くっ・・・!」
ヒトリで迎える絶頂。
喉が震える短い呻き声のあと、手の中に熱いそれが迸る。
一瞬だけ、何もかも、自分の存在さえもが、カールの中から消えた。
寂しさも、悲しみも。
音も、視界も全て無の世界。
ある者に言わせれば、「束の間の死」の世界。
そして、また、耳に届くシャワーの音。
目の前のタイルの汚れがやけにはっきりと見える。
虚脱感で倒れないように、壁にやった腕に力を込めながら、ゆっくりと息を吐く。
先程から握り締めたままのもう片方の手を、震えながら顔の近くまで上げて開けば、先程まで体内にあったそれは容赦なく降り注ぐ湯に流されて、排水口のまわりを鈍くまわってから、あっけなく消えていった。
シャワーを止めることができない。
止めた瞬間冷えていく身体が、所詮ヒトリアソビと叫び始めるから。
情けない。
自嘲気味に口元に笑みを浮かべながらも、襲ってくるのは、寂しさ。
心が得られないと諦めたその日から、せめて熱だけでも得たいと、求めて続けてきた結果がこれだ。
キコキコと嫌な音を立てるハンドルを廻して、シャワーを止める。
静寂を聞きたくないとばかりにカールは、乱暴にバスタオルを取り、身体を適当に拭いて髪を大して乾かさないままバスローブ姿で、ベッドで仰向けになった。
「………」
ただ、天井だけを見つめる。
1ヶ月間。
ガラス戸の棚に「彼」をたたきつけたあの日から、互いに会っていないし、声も聞いていない。
「仕事」の為に離れたところに住んでいるから仕方ないのだが、以前は用も無いのに無駄に電話をよこしていた兄から、ここのところ全く連絡がなかった。
…声が、聞きたい。
なら自分からかければいいじゃないかと、わかっていながら、プライドと諦念が邪魔して、カールは受話器をとることもできずにいた。
今更、何を話せばいいのか。
愛情も好意も諦めてから、どんな会話もただ上滑りしていくだけで、話せば話すほどに空しくなっていく。
それでも会いたいと思ってしまうのだから、ビョーキ以外の何物でもない。
会って何をするのかといえば、選択肢が一つしかなくなってしまった関係の中で、ただ、願う。
…一度でいい、一度だけでいいから、自分を見てくれないか。
どうか、自分の向こうに、もう一人の影を映さないで、こちらだけをみてはくれないか。
叶わない願いに自分が壊れるのが先か、幕が下りるの先か。
自分の心が少しずつ壊れていく音を聞きながら、カールは目を、閉じた。
* * * * *
泥沼は続きます。
絶頂=「束の間の死」って誰の言葉でしたっけ…?
うーむ。
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